転妻愛歌。(転勤族の妻のウェブログ)

元転勤族の妻が、2歳差サバイバル育児とか語ります。

【生まれたときからずっと、世の中は不公平だった。】

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ちょっと前に目にした【母の日や父の日のイベントを、最近の幼稚園や保育園では避けている」というニュース。母親や父親がいない家庭のために、母の日や父の日を無くし、ファミリーデイにした保育園もあるんだとか。

 

同じように最近、運動会のお弁当も、保護者と生徒が別々に食べるところが増えてきているらしい。父兄参観もなくなった(日曜参観にことばが変わったんかな。)

 

先生たちも普段から「お母さん」や「お父さん」という言葉ではなく「おうちの人」と言うように気をつけていると聞いたことがある。


こういった母子(父子)家庭に対する配慮、祖父母がいない子への配慮、共働き家庭に対する配慮って必要なんだろうか?

 

こんなこと書くと賛否両論あるだろうけど、みんながみんな平等なんてありえないのに、どこまで配慮しなくちゃいけないの?と疑問に思う。

 

旦那は早くに父親を亡くしているし、わたしは実家と絶縁しているから、うちの娘には祖母が一人しかいない。でも仕方ない。いないものは、いないんだもの。

旦那の仕事がいそがしい時期は、土日であっても行事に関わることができない。

だから父親と一緒だったり、じいじとばあばも連れて行事参加してる家族を見たら、単純に羨ましいなーとは思う。

 

でも娘のことも自分のことも、かわいそうだとも思わない。

仕方ないことだから。もちろん「不公平だ」なんてクレームいれようと思ったことなんてない。

 

世の中平等なんてありえない。生まれたときから差がある。

経済的なこと、環境的なこと、遺伝的なこと。悲しいかな、それは受け入れるしかない

 

持たない少人数の声に配慮して、持っている多数が割を食ってどうすんの…って思うんだけど、わたしの考えはこどもに対する配慮に欠けているんだろうか。

何かと粗を見つけては苦情を言ったり、自分の欲求を通そうとする人が増えたから、どんどん配慮の塊になっていくのかもしれないな。

 

ちなみにうちの娘はバカなもんで、自分におじいちゃんがいないことに気づいていない。気づいてるかもしれないけど、特に気にしている様子がない。

敬老の日に幼稚園で作った祖父母の似顔絵入りプレゼント。そこには存在しないじいじの顔が描かれていた。

 

「ひとつはばあばにね。じいじのはわたしの分だから!」とニコニコと笑う娘の姿に、

かわいすぎて鼻水吹き出しそうになった。

 

 

ただ「お母さんのお母さんはどこにいるの?」と聞かれるのは正直ツラい。それは、祖母が一人しかいないことに対する悲しさとかそういうのではなくて、その質問にどう答えていいか悩むからだ。

 

いくら絶縁しているからとはいえ、自分の母親を死んだことにはしたくない。「病気で遠いところにいるんだよ」という言い訳が、いつまで通用するんだろうか。